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そのわかったはホンモノ?(ツキイチ9月課題)

4月からはじめた「文章力オンラインサロン」も半分を折り返しています。
今月の課題は、問題文の理解からはじまりました。中学入試問題だときいて、固まりましたよ。いやあ、すごいなあ。

回答スケジュール
・1週間で回答
・1週間で添削
・1週間で書き直し
→今回の投稿になります。

 


問い:次の文章を読んで、「分かる」とはどういうことなのか、「分かる」為には何が必要なのか、自分の経験を添えて意見を述べて下さい。

 

「わからない」をスタート地点とすれば、「わかった」はゴールである。
スタート地点とゴール地点を結ぶと、「道筋」が見える。
「わかる」とは、実のところ、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。
「わかる」ばかりを性急に求める人は、地図を見ない人である。
常にガイドを求めて、「ゴールまで連れて行け」と命令する人である。
その人の目的は、ただゴールにたどり着くことだけだから、いくらゴールにたどり着いても、途中の道筋がまったくわからない。
だから、人に地図を書いて、自分の通った道筋を教えることができない。
「わかった」の数ばかり集めて、しかしその実「なんにもわからない」のままでいるのは、このような人である。

「わからない」はスタート地点である。
これをゴールにすると、「行き止まり」になってしまう。
「わからない」がスタート地点で、「わかった」がゴール。
「わかる」は、その間をつなぐ道筋である。
しかし人は、往々にして、「わかる」をスタート地点にしようとする。
「わかった」がゴールなのだから、「わかる」をスタート地点にしても、どこへも行けない。
「わかる」をスタート地点とした時、その先の道筋はすべて「わからない」になり、その道の先は、やはり「わからない」の行き止まりである。
そういうものであるにもかかわらず、人は多く、「わかる」をスタート地点に設定しようとする。

「わかる」をスタート地点にしようとする人は、一度「わかった」のゴールへたどり着いて、そしてそのまま、新たなるレースへ出ようとはしない人なのである。
「自分は一度『わかった』のゴールにたどり着いた。そんな自分には、いまさら『わからない』のスタート地点に立って、めんどくさいレースを始める理由などない」と思っているから、「わからない」という前提に立たない。
「自分は一度勝者になった」と思うから、面倒なレースを拒否して、平気でガイドを求める。
常にガイドを求めて、自分からはなにもしない。
つまり「わかる」をスタート地点にするということと、「傲慢なる恥知らずを省みない」とは、一つなのである。

「わからない」は、思索のスタート地点である。
そこから始めればこそ、「わからない」は思索の「方法」となる。
「わからないからやーめた」であきらめれば、そこは挫折のゴールである。
「わからない」が「方法」になるかどうかは、それを「方法」として採用するかどうかの、決断にかかっているのである。

私には、「わからない」と思うことがいくつでもある。
そういうことを一つ一つつぶして行くのが人生だと思っているから、やることはいくらでもある。
そのいくらでもある「わからないこと」を、どれから片付けて行くかは、その時その時の優先順位によるものである。
その優先順位とはつまり、「その時になにが一番『わかりやすそう』に見えたか」である。
「どこから手を付けるか?」は、その時その時によって違うけれども、「なぜやるのか?」の理由だけは動かない。
「わからないから」である。

「わからない」という方法 (集英社新書) 橋本治 (一部改変)


本当の「わかった」に到達するために必要なこと

 

「わかる」とは、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くこと。
「わからない」をスタート地点、「わかった」をゴール地点とした場合、その道中の進み方をガイドに求めるのではなく、自分の足で歩くことが「わかる」ために必要なことだと筆者は言います。

私は、ネットから流れてくる情報に、流されやすいタイプです。この記事を読んで「わかった」ならば、今よりも一歩先をいける。この書籍を読んだら、今の自分に足りないものが「わかる」。このセミナーに出たら、ものすごいことが「わかる」ことで、自分がすごくなれるのかもしれない。そんな淡い期待を胸に抱いて、これまでたくさんの情報に触れてきました。そして、多くの「わかった」を得たはずでした。それなのに、なんで私は、情報収集をやめないのだろう。「わかる」と「わかった」の間には、大きな溝があるのかもしれないと感じる自分がいました。

「わかる」とは、ただ答えを知ることではなく、そこにいたる考え方を自分の中に行動を通して、組み立てていくこと。
そんな経験がいままであったかしらと、思いを巡らせると、たしかにありました。

私は小学4年から高校3年までの9年間、バレーボールをしていましたが、大学からは、氷上の格闘技ともいわれる、「アイスホッケー」をはじめました。スケート自体の経験も片手に数える程度のみ。いくつかのサークルを見学してみて、競技人口が少なくて全国大会を目指しやすいこと、プレイする先輩方が格好良く見えたことが入部の決め手でした。

アイスホッケー用のスケート靴と防具をつけて、スティックでパックを打つ。これまでのバレーボールの経験が、ほぼ役に立たない。
氷上で、立つ、歩く、走る、止まるといった基本動作ができない。まさに、「わからない」ことから始めました。
スケートの技術は、正しい知識を入れつつ、実際にリンクにのって繰り返し練習することで少しずつ体に覚えこませます。

頭では「わかった」つもりでも、どうにも体がうまく動かないのです。
動くようになるには、練習日以外も一般営業のリンクにのって、スケートの反復練習をすることが大切でした。
そうして、大学卒業までの間、ひとつひとつ動けるようになって「わかった」ことが増えました。

ひるがえって、学生時代にもがきながら取り組んでいたことを、今ではなおざりにしていたに気がつきました。
情報をひとつでも自分で試すことで、「わかった」にたどりつけるのだということ。
本当の「わかった」を手に入れるために、頭の中だけでわかった気にしないで、すこしでも行動していきます。

 


ゆか先生の「書きまくるトレーニング」の9月のツキイチ課題は、「『分かる』ということ」でした。

今回、ここにアップするのはどうしようかなと思ったのですが、こんなこともしていたんだなと将来の自分への投稿です。

 

 

おかかえの動物病院でいただいたカレンダー。
9月に載せてもらっていました。

 

 


あと、半分でどこまでいけるかな。

 

Facebookページ作りました。

 

 

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ゆき
ゆき
3匹のチワワと暮らす/写真/ガジェット/読書/統計/親指シフト/スケッチ/東京都在住/詳しいプロフィールへ
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